院長、若手医師、医学生が8月11日、九大生体解剖事件を学ぶため、福岡市中央区にある東野産婦人科の東野利夫医師を訪問し、戦後70年追悼展示会『「今、振り返るいのち」~九大生体解剖事件の真相~』を見学しました。
今年は戦後70年ということもあり、二度とこのようなことがないようにとの強い思いで自院での展示会を開催されました。東野産婦人科の建物の一角に設置された資料には、医療者が生体解剖事件という本来の使命とは真逆の行いをしてしまった経緯が生々しく書かれているものもあり、戦争状態という異常性が伺えました。
展示された資料の数々は、東野医師の恩師である平光吾一教授の「汚名」を晴らす為に奔走し集めたものばかりであり、多くの方々が食い入るように眺めていました。
見学後、東野医師に当時の様子を語って頂きました。
「当時は戦争状態にあり、どちらが悪いということは今となっては言えない。戦争というシステムが命を守る医師の使命すら狂わせてしまい、このようなことに関わってしまった。戦争は二度としてはいけないが、今は平和の方向に向かっているようには思えない」と、当時の状況を私達に必死に伝えて頂きました。
若手医師にメッセージを伝える東野医師
最後に、東野医師からこれからの医療を担う若手医師と医学生へ「これからは医師も政治に関わることが重要。政治に対する考えをメディアや他人に流されることなく持って下さい。」とエールが送られました。
医学生の感想
小・中学生のときに戦争についての授業はあり実際の体験も聞いたことはあるが、九大生体解剖事件は名前を聞いたことあるだけで詳しく内容を知らなかったので、医療の現場でこのようなことが本当に起こっていたことを知り、驚きと医学部に通う身として辛い気持ちになった。今起こっていることも、メディアに流されずしっかり勉強していかないといけないと思った。
九大生体解剖事件とは
1945年に九州方面を爆撃に来たB29が日本の特攻隊機に撃墜され、搭乗員が落下傘降下。住民に捕縛された9名の米兵は情報価値のある機長を除き8名が裁判をせず処置が西部軍に委ねられた。
それを知った九州帝国大学(現在の九州大学)詰の小森軍医は第一外科の石山教授と共に生体解剖実験に供することを軍に提案。これを軍は認め、捕虜8名が九大に連行された。そこでは代用血液として開発が進められていた海水の血液への注入や、肺の切除、心臓の停止実験などが行われた。
東野医師は当時19歳の医学生として教授の雑用係をしており現場を目撃している。当時の関係者としては唯一の生存者である。
【著書案内】 『汚名「九大生体解剖事件」の真相』東野利夫著 文藝春秋
千鳥橋病院は、命を守る医療者・福祉従事者の立場から、戦争反対、反核平和の取り組みを行っています。